随想舎 

知られざる下野の中世

橋本澄朗・千田孝明[編]

 平安時代末期から、鎌倉・南北朝・室町時代を経て戦国時代へ。動乱の時代を生きた下野武士の盛衰と、その時代に華開いた中世下野の文化を、文献史学と考古学の視点からまとめあげた。「掘り出された中世の世界」「中世日光山の光と影」「秀吉が宇都宮で過ごした11日間」など10編を収録。「歴史の舞台」などコラムも充実。

A5判/240頁/定価1980円(本体1800円+税)
ISBN 4-88748-105-5

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著者プロフィール

江田 郁夫[えだ いくお] 栃木県立宇都宮北高等学校教諭
 1960年栃木県宇都宮市生まれ。[主な著書論文]『日光道中と那須野ヶ原』(共著・吉川弘文館)、「持氏期の那須氏」(『中世の地域社会と交流』所収・吉川弘文館)、「中世佐野荘と佐野氏」(「栃木県立文書館研究紀要7」所収)

橋本 澄朗[はしもと すみお]
 〈財〉とちぎ生涯学習文化財団埋蔵文化センター主幹兼調査部長
 1945年栃木県益子町生まれ。[主な著書論文]『栃木県の歴史』(共著・山川出版社)、「下野における平安時代の仏教文化の展開」(『宗教・民衆・伝統』所収・雄山閣)、「大谷磨崖仏造像の歴史的背景について」(「〈財〉とちぎ生涯学文化財団埋蔵文化財センター研究紀要」所収)

須藤  聡[すどう さとし]
 群馬県立太田女子高等学校教諭
 1965年群馬県桐生市生まれ。[主な著書論文]「室町期東上野における佐野一族の活動-桐生氏との関わりについて-」(「ぐんま史料研究8号」所収)、「平安末期清和源氏義国流の在京活動」(「群馬歴史民俗16号」所収)、「北関東の武士団」(「古代文化」第54巻第6号所収)

大澤 伸啓[おおさわ のぶひろ]
 足利市教育委員会文化課文化財保護係長
 1959年栃木県足利市生まれ。[主な著書論文]「寝殿造系庭園と浄土庭園」(「日本庭園学会誌6号」所収)、「瓦で見る下野の中世」(「歴史と文化11号」所収)、「中世足利の都市的空間」(「中世東国の世界1 北関東」所収・高志書院)

千田 孝明[ちだ こうみょう]
 栃木県立博物館学芸部長補佐兼人文課長
 1953年栃木県日光市生まれ。[主な著書論文]『栃木県の歴史』(共著・山川出版社)、「輪王寺蔵の大般若経について」(「栃木県立博物館研究紀要5号」所収)、「日光山をめぐる宗教世界」(『中世東国の世界1 北関東』所収・高志書院)

佐久間弘行[さくま ひろゆき]
 小山市教育委員会文化振興課主任
 1965年山形県山形市生まれ。[主な著書論文]「下野国寒川郡沿革雑考」(「小山市立博物館紀要5号」所収)、「平安前期の下野・下総国堺の周辺」(「小山市立博物館紀要6号」所収)

田代  隆[たしろ たかし]
 〈財〉とちぎ生涯学習文化財団埋蔵文化センター
 調査部大規模調査班テクノポリス調査担当係長
 1957年東京都目黒区生まれ。[主な著書論文]「烏森遺跡」(共著「栃木県埋蔵文化財調査報告第80集」)、「久保遺跡」(共著「栃木県埋蔵文化財調査報告第125集」)、「下古館遺跡」(共著「栃木県埋蔵文化財調査報告第166集」)

鈴木 泰浩[すずき やすひろ]
 日光市教育委員会事務局社会教育課文化係文化財保護専門員
 1960年東京都墨田区生まれ。[主な著書論文]「下古館遺跡」(共著「栃木県埋蔵文化財調査報告第166集」)、「越名西遺跡・越名河岸跡」(共著「栃木県埋蔵文化財調査報告第174集」)、「河岸景観復元の試み」(「利根川・荒川流域の生活と文化」所収・図書刊行会)

新井 敦史[あらい あつし]黒羽町芭蕉の館学芸員
 1967年群馬県富岡市生まれ。[主な著書論文]「室町期日光山の組織と運営」(「古文書研究40号」所収)、「下野国黒羽藩主大関氏による史料保存と『大関家文書』の存在形態」(「日本史学集録25号」所収)、「戦国末期~豊臣期における下野黒羽大関氏の権力構造」(「歴史と文化13号」所収)

目 次

下野の中世 江田 郁夫

 中世とは/中世下野の幕開け/下野御家人の活躍/変貌する社会/鎌倉幕府の滅亡と南北朝の動乱/東国大名の活躍/鎌倉府と東国大名/東西の対立/戦国動乱の時代へ/秀吉の天下統一/中世から近世へ/中世下野の文化

中世考古学の可能性 橋本 澄朗

 歴史研究に占める考古学の役割/栃木県における考古学の成果/栃木県における中世遺跡の調査/研究の可能性

掘り出された中世の世界 ―近年の考古学の成果から 橋本 澄朗

 考古学と文献史学/古代集落からの視界/文化変遷の枠組み/集落・住居・支配者・墓制/食器・調理・流通/仏教・寺/下古館遺跡が語るもの/樺崎寺が語るもの/中世考古学の可能性

下野国中世武士団の成立 ―治承・寿永の乱以前の実状 須藤  聡

 鎌倉幕府と下野国御家人制の成立/宇都宮氏を見直す/「競合」する武士たち/奥羽周縁に位置する下野国/伝説の将軍藤原秀郷/軍事貴族の留住と武士団形成の始まり/藤原秀郷の実像/藤原秀郷子孫の展開/藤姓足利氏の成立と発展/藤姓足利氏進出の背景/「京武者」源義国一族/安楽寿院領足利荘の成立/足利荘成立の条件/簗田御厨拡張と在地との摩擦/義国流清和源氏の土着化/「豪族的武士団」の出現と競合/藤姓足利氏と源姓足利・新田氏の対立/治承・寿永の乱と競合の解消

よみがえる中世寺院 ―史跡樺崎寺跡の発掘調査から 大澤 伸啓

 足利氏のふるさと足利と樺崎寺/発掘調査で明らかになった樺崎寺跡/伝世品/史跡樺崎寺跡の重要性

中世日光山の光と影 ―幻の「光明院」、その栄光と挫折 千田 孝明

 知られざる光明院/霊廟であった光明院/顕密兼備の学僧 光智坊聖宣/常行三昧堂の創建/聖宣時代の日光山の発展/源頼朝と日光山/天下無双の美僧 真智房隆宣/日光山中興の祖 但馬法印弁覚/尊家と源恵/鎌倉勝長寿院と山門派の興隆/日光山別当(光明院別当)と勝長寿院別当の兼務/勝長寿院の廃絶と空位の光明院/光明院の余薫と御留守座禅院権別当/光明院は実際に通用していたか/中世日光山の落日/天海の入山と光明院の復活再興/光明院から輪王寺宮へ

小山義政の乱と鷲城・祇園城 佐久間弘行

 乱の勃発/義政・基綱確執の原因/南北朝の動乱と対立の伏線/裳原の戦いへ/義政討伐へ/第一次討伐/第二次討伐/第三次討伐と義政滅亡/鎌倉府軍の小山進攻経路/隅田・太日川と奥大道/遺跡調査の成果と奥大道の推定/鷲神社と祇園社/南朝方との攻防と防衛網の再整備/小山郷の範囲の推定/史跡としての鷲城跡/義政の乱当時の小山の都市構造

道・市・宿 ―下古館遺跡とは何か 田代  隆・鈴木 泰浩

 はじめに/遺跡の環境/遺跡の概要/遺跡中央部/遺跡東部/遺跡西部/台形区画の性格/出土遺物/出土遺物からみた遺跡の時期/下古館遺跡とはなにか

豊臣秀吉が宇都宮で過ごした十一日間 江田 郁夫

 秀吉の宇都宮仕置/頼朝の宇都宮明神参詣/秀吉と頼朝/秀吉の在宮期間/秀吉の会津仕置/秀吉の会津出発はいつか/宇都宮仕置の準備/宇都宮での秀吉/奥羽大名の宇都宮参向/秀吉に従う佐竹父子/全国からも注目された宇都宮仕置/奥羽仕置の本格化/帰洛の準備/宇都宮仕置の影響/宇都宮仕置の記憶

もう一つの関ヶ原 ―関ヶ原合戦と那須衆 新井 敦史

 関ヶ原合戦と那須衆/那須衆とは/朝鮮出兵と関白秀次事件/豊臣政権の権力構造と諸矛盾/慶長四年の中央政界/上杉景勝の不穏な動き/会津攻めと那須衆/小山評定と那須衆/大田原城の防備態勢/黒羽城の防備態勢/徳川氏に対する忠誠表明/誰が人質とされたのか/情報収集所としての黒羽城/伊達氏との連携と奔走する大関氏宿老/小山評定以後の徳川家康/「本戦」に突入する関ヶ原合戦/関山合戦/関山合戦のあと/那須衆と徳川方との音信/諸将に対する論功行賞/大関氏が入手した論功行賞の情報/那須衆への論功行賞/那須衆への所領給付の意義

 「知られざる下野の中世」関係年表

 おわりに 千田 孝明