随想舎 

足尾銅山発見の謎

「治部と内蔵」の真相をもとめて

池野 亮子

 足尾銅山草創期の歴史の闇に挑む!!
 足尾銅山の始まりについては「慶長15年(1610)に備前の国の農民、治部と内蔵によって発見された」と伝えられている。今回、その一人・治部の墓が見つかった。足尾町中才墓地の笠塔婆に刻まれた戒名・没年月日と、赤沢本妙寺所蔵の過去帳に記された星野治部左衛門のそれがピタリと一致した。発見された墓を手がかりに、中世から近世にいたる足尾銅山を取り巻く歴史の真相を探る意欲作!!

 「足尾銅山発見者」の墓を確定!!
 足尾銅山発見者の「治部の墓」が選鉱場の叢の中にあると知ったとき、本当にいた人物だったのかと思った。そして、ある墓からついに驚くべき事実が判明していった。今回判明したことは、中才墓地の五輪塔は座禅院時代の「星野治部左衛門」のものであり、笠塔婆は輪王寺時代の足尾郷代官その人のものだったということである。(本文より)

四六判/上製/248頁/定価1650円(本体1500円+税)
ISBN 978-4-88748-196-1

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著者プロフィール

池野 亮子  (いけの りょうこ)

昭和27年、栃木県日光市足尾町に生まれる。
千葉県習志野市の東邦大学附属中学・高校から、埼玉県越谷市の立正女子大学教育学部(現・文教大学)へ進む。
平成14年、足尾町教育委員会主催の「ふるさとあしお歴史セミナー」を受講。ふるさとあしお歴史セミナー自主研究会で「足尾銅山百選産業遺産保存活用の手引き」作成。
足尾歴史館立ち上げに尽力、ボランティアガイドを務める。
現在、聖徳大学短期大学部通信教育部司書課程在籍。NPO法人足尾に緑を育てる会の事務局を手伝いながら、近世を含めた郷土史研究として足尾の歴史研究に励む。

目 次

第一章 知られざる墓石

 1 治部の墓はどこに
 2 中才墓地の五輪塔と笠塔婆
 3 星野家子孫との出会い
 4 輪王寺文書と出会う
 5 本妙寺の過去帳
 6 浮かび上がった星野治部左衛門

第二章 五輪塔を取り巻く謎

 1 中才墓地の五輪塔
 2 足尾銅山の歴史
 3 中国地方と足尾の山先人
 4 墓の移動の経緯
 5 中才墓地で考える

第三章 足尾銅山と星野治部左衛門

 1 日光山輪王寺文書
 2 判明した「星野治部左衛門」の身分
 3 輪王寺文書から見えてきたもの
 4 輪王寺文書の「足尾銅山草創書」
  足尾銅山の歴史を記述/複雑な日光山統括の歴史/二人の山先人が遺したもの
 5 星野治部左衛門邸の住居判明
  大きな区域を占める代官屋敷/日光銭座も取り仕切った治部左衛門/治部左衛門邸は現在の通洞あたり
 6 星野治部左衛門家系図
  川内村下仁田山の星野家/足尾に残った星野本家/川内町星野家の人々/五〇基の五輪塔が秘めたもの

第四章 足尾五姓のルーツを探る

 1 足尾五姓のたどった道
  足尾五姓はいつごろ来たのか/峠越えを余儀なくされた足尾/一四世紀の戦乱期に移住
 2 齋藤氏――南北朝争乱で足尾に移住
  南朝方に荷担した齋藤氏/下野の武将たちに仕える/齋藤氏が臣従した佐野氏/銅山奉行を足尾に派遣
 3 神山氏――安達・高橋一族と結合か
  新田義貞の挙兵に参加/戦国期には佐野氏に仕える/現代へと繋がる神山姓
 4 星野氏――カギを握る桐生仁田山城
  近世足尾と星野治部左衛門/五〇基の五輪塔の謎/星野家の家紋

第五章 深い絆で結ばれる日光山と足尾

 1 日光山の変遷と足尾
  光明院と座禅院/豊臣秀吉の日光山処分/座禅院座主・昌尊の策謀/天海の来山と座禅院廃絶
 2 天海大僧正と日光目代山口忠兵衛
  黒衣の宰相・天海と目代・山口忠兵衛/天海により復興した日光山/知られざる日光を訪ねて
 3 星野治部左衛門の時代の足尾銅山
  銅山の隆盛と宿の繁栄/天災・飢饉と銅山の衰退/日光目代・山口新左衛門の罷免
 4 善女神谷が結ぶ日光と足尾
  日光山善如寺から一五両を借用/各谷ごとに区分けされた坊舎/善女寺は「善女神谷」にある寺の総称

第六章 移動された墓をめぐって

 1 本妙寺と大圓寺そして蓮慶寺
  渋川をはさんだ宿の繁栄/本妙寺の過去帳が語るもの/銅山の盛衰に左右された足尾/
  名門銅山師・田中一族が眠る/吉田氏の五輪塔が建つ蓮慶寺
 2 五輪塔の人物
  中才墓地の五輪塔と笠塔婆は語る/六人の星野治部左衛門/さまざまな五輪塔
 3 「開闢の来由」碑の行方
  伝わり方の微妙な変化/すべては「足尾銅山草創書」から
 4 石碑に刻まれた文字
  大圓寺跡地の石碑/輪王寺宮就任に建立された石塔の碑文の意味/笠塔婆と石塔を見守る楢の老木