田中正造物語
 田中正造物語

 下野新聞社[編]

 六角家騒動、江刺殺人疑獄をはじめ、自由民権運動から国会議員へ、そして足尾鉱毒との闘いは直訴、谷中入村へ……。つねに民衆とともに闘った田中正造の生涯に、2009年12月に急逝した若林治美記者が迫る。
 下野新聞創刊130周年記念企画。


 四六判/並製/200頁/定価 本体1800円+税
 ISBN 978-4-88748-219-7
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編著者プロフィール 

下野新聞社編

 執筆を担当した若林治美氏は、1974年に下野新聞社に入社し、社会部や学芸部の記者として活躍、その後、社会部長・学芸部長・論説委員長などを歴任した。これまでにも田中正造や足尾鉱毒問題に絡んだ取材経験が豊富であり、今回の連載にあたっては満を持してこれに臨んだ。彼は連載が始まる数か月前から資料の読み込みを始めるとともに、現地調査のため足尾から渡良瀬遊水地にいたる渡良瀬川流域はもとより、東京、さらには秋田県・岩手県へも足を運んだ。
 当時、若林氏はだれかれとなく「寝ても田中正造、起きても田中正造」と、連載執筆への強い意欲を語って止まなかった。「田中正造物語」は、そうした彼の�T奮闘�Uによって生まれたのである。その若林治美氏は、2009年12月13日、心筋梗塞のため急逝された。58歳だった。本書は、彼が遺した読者への「贈り物」である。

  目次

第一部 闘いの軌跡

鉱毒に全存在をかけて  下流と上流
たくましい少年時代  兼三郎誕生
進められた移転工事  変貌する生家
勤勉、責任感が勲章  若き名主
村の秩序守る先頭に  六角家騒動
新天地、官吏として精勤  東北へ単身赴任
上司殺害のぬれぎぬ  殺人疑獄
「三十五年の活動」志す  政治家への道
自由民権運動の一翼担う  栃木新聞編集長
国会開設の論陣張る  自由民権のリーダー
鬼県令、相次ぎ強行策  三島県令との闘い
「栃鎮」民衆の立場で熱弁  県会から国会へ
質問書最多、政府を追及  名物代議士
消失しない鉱毒の歴史  渡良瀬遊水地は今
鉱毒招いた採掘近代化  足尾銅山
流域荒れ不毛の地に  鉱毒事件の表面化
鉱業停止請願へ転換  鉱毒事務所の設置
世論が設置を後押し  内閣に鉱毒調査委員会
効果上がらず被害続く  鉱毒予防工事命令
弾圧された大挙請願  川俣事件
病を押し鉱毒と闘う  衆院議員を辞職
悲願「天聴」に達せず  天皇直訴・その1
組織的計画的に決行  天皇直訴・その2
加筆訂正し運命の日へ  天皇直訴・その3
拡大した被害民支援  直訴の波紋
浮上した村の遊水池案  闘いは谷中村へ
買収工作、村民切り崩す  谷中村廃村
「辛酸……」窮地に臨み一筆  谷中村強制破壊
同志らに頼り続けた「糧」  窮乏・借金生活
大事業始動、最後の闘いへ  渡良瀬川改修工事
「洪水の元凶は関宿堰」  河川調査の日々
足尾植樹、百年前に提唱  治水論と自然観
「何とて我れを」……絶筆に  臨終・その1
最後の言葉「此処も敵地」  臨終・その2
地球環境問題に教訓  遺産


第二部 若き新聞人と自由民権

民権運動とともに発展  新聞のあけぼの
商都に芽生えた言論  杤木新聞(第一次)創刊
発祥の地は倭町交差点  杤木新聞(第一次)廃刊
再興された自由民権の灯  栃木新聞(第二次)創刊
新聞創刊「真の主唱者」  新聞再興の真相・その1
発行支えた石灰業人脈  新聞再興の真相・その2
下毛結合会に結集できず  栃木県の自由民権
経営とのはざまで格闘  言論弾圧と新聞人
「編集権」の理念具体化  栃木新聞会社規則
足利新報と合併果たす  第三次杤木新聞の誕生
法の網逃れ政治集会  自由運動会
賛否両論、県内を二分  宇都宮に県庁移転
民権運動衰退の契機  加波山事件
県都とともに宇都宮へ  下野新聞創刊
題字に添えた「中正不偏」  公布式から報道紙へ

第三部 巨人を語る

「布施」の心、無形の遺産  作家 立松和平
翁との奇遇を大切に  終焉の間を守る 庭田隆次
初の人物画、苦心の作  日本画家 塚原哲夫
思想と行動、普及に貢献  田中正造大学事務局長 坂原辰男
「赤貧洗うがごとき」製作  映画監督 池田博穂
正造支援、祖父の偉業  原田定助の孫 原田定子
小口版画に魅せられて  大日山美術館長 松沼正一
正造没後にも鉱毒被害  鉱毒根絶太田期成同盟会長 板橋明治
本作り第一歩は「市民塾」  出版編集者 石川栄介
民主主義の原点見る  国学院大教授 菅井益郎

 『田中正造物語』関連年表
 あとがき