コンクリート製の谷中湖やレジャー施設ができ、かなり様変わりしてきたが、かつての屋敷跡などに往時を偲ぶことができる。ヨシ焼きは春の風物詩となったが、芽吹きの時期も素晴らしい。散策するたびに、新しい発見がある。

◎田中霊祠 正造の本葬後、谷中村も埋葬地のひとつに決まり、12月14日に旧谷中村高沙の嶋田熊吉邸に田中霊祠が建てられた。1917年、残留民6戸が渡良瀬川改修工事の士捨て場に移った際に、霊祠も奉還された。1957年には拝殿が完成、同年末には宗教法人として認可された。正造の分骨を祀った唯一の神社である。


◎合同慰霊碑 墳墓の地を追われた旧谷中村民の要請で、遊水池内に点在する墓石や石仏を集め、1961年に建てられた。コンクリート壁に塗り込められた268基には、大半を占める墓跡のほかに、十九夜塔や十三夜塔、庚申塔が多く見られ、江戸時代の村人たちの信仰と生活が偲ばれ
る。


◎北川辺霊場 北川辺町は埼玉県の東北端、利根川と渡良瀬川に挟まれ、かつては川辺村と利島村に分かれていた。谷中村同様、遊水池化計画があり、1902年9月の利根川決壊に際し、国・県はこれを放置した。これに対し両村民は「納税・兵役の拒否」の決議を掲げ、計画断念を勝ち取る。霊場は北川辺西小学校の校庭に面し、10月上旬の例祭は町役場が執行している。

◎開発の波に坑して 渡良瀬遊水池には昔
から様々な開発構想が浮かんでは消えた歴
史がある。古くは米空軍演習場、最近では
国際空港や国会移転などである。現在は第
2貯水池建設の動きがあり、これに対して渡
良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会
が、その歴史と自然を守る活動を続けている。

 


◎藤岡町歴史民俗資料館 「考古」「民俗」「田中正造と谷中村」の三つの展示室がある。正造の着物、杖、矢立、書簡などが展示され、ぬかるみを歩きやすいようにと注
文して作らせた一本歯の下駄もある。敷地の側には、高さ3.3m、台座3.7mの正造銅像が目をひく。1978年に、町と田中会、ライオンズクラブにより建設された。ヒゲと羽織袴の像は威圧的であり、違和感を覚える。

 
 


◎赤麻寺 渡良瀬川改修工事によって埋まった赤麻沼のほとりに建つ。1913年4月13日、田中正造最後の演説が
行われた寺でもある。

 
 


◎谷中村の生き証人・大榎 史跡保全ゾーンの北東部、葦や芽・竹林に囲まれた、買収対策事務所でもあった間明田粂次郎邸跡に大榎は静かに聳えている。強制収用を明日にひかえた1907年6月23日、「最後の晩餐」が開かれ、「死ぬも生きるも皆一緒だ」と誓いあう。「裏の榎の青葉の陰では、明日の雨天を告げるかのように、雨蛙がしきりに鳴いていた」と『田中正造翁余録』は書いている。

 
 

◎渡良瀬遊水池のヨシ焼き
 毎年3月下旬、害虫の卵を駆除し良質の葦を育成するためにヨシ焼きが行われ、今では北関東の春を告げる風物詩となっている。多くのアマチュアカメラマンや見物人が取り巻くなかで、天をも焦がせと炎の乱舞び続く。