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田中正道と足尾鉱毒事件を学ぶ旅に出るにあたり、ここでは比較的最近の渡良瀬川流域の動きを紹介し、現在の状況の中からこれらを捉え返す問題提起としたい。これらの地域では様々な運動や活動がみられるが、それらの中には正造の思想をつねに垣間見ることができる。これこそが正道思想の持つ現代性にほかならない。そして、そうした運動自体が思想を語り継いでいるのである。
正造は直訴の3日前に次のように記している。
「以上の毒野も、ウカト見レバ普通の原野ナリ。涙ヲ以テ見レバ地獄ノ餓鬼ノミ。気力ヲ以テ見レバ竹鎗、臆病ヲ以テ見レバ疾病ノミ」
見学者は、この正道の言葉を胸にして、現地を訪れてもらいたい。
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◎松木村跡
松木村は足尾銅山の煙害により全村離散を余儀なくされた村である。松木源流をたどると岩盤が露出した累々たる山肌の連なりに驚かされる。足尾ダム付近は永年の緑化事業で、緑の回復がかなり見られるものの、奥へ進むほど放置された状態が続く。緑化のために、国・県は毎年20億円以上を費やしているが、加害企業はその責任を負うべきである。
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◎「足尾に緑を、渡良瀬に清流を」
1982年2月、雲竜寺前の渡良瀬川で初めてサケの稚魚が放流された。渡良瀬川の清流化を目指す運動のひとつであり、「渡良瀬川にサケを放す会」の旗揚げである。ついで1996年4月、「足尾に緑を育てる会」による植樹活動がスタートした。サケの放流、植樹という実践行為をとおして、環境問題を考えることが狙いである。渡良瀬川の上流と下流での運動が注目されている。
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◎田中正造生家問題
栃木県指定史跡・田中正造生家は県道拡幅工事にともない、多くの反対を押しきって、観光用に改悪されてしまった。土地は移動・変形され、母家の屋根は銅板葺きとなり、農家の仕事場であるべき庭には砂利が敷かれてしまい、正造を偲ぶ多くのものを失った。こうした状況に対し、現在でも「田中正造の生家を守る市民の会」が原状回復を求め運動を続けている。見学者は批判的な眼で「生家問題」をとらえてほしい。
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◎第6の分骨地発見
正造没後、その遺骨は5個所に分骨され、それぞれが供養を続けてきた。ところが、鉱毒被害地・久野村の室田忠七らの活動家が原田定助にひそかに依頼して分骨を受けて寿徳寺開山の墓に埋め、関係者没後は寺だけで供養を続けていたことが明らかにされた。1989年のことである。その後、地区民を中心に顕徳会が結成され、供養を続けている。
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◎開発に揺れる渡良瀬遊水池
鉱毒問題を治水問題にすり替え、谷中村民を追い出して造ったのが渡良瀬遊水池である。この広大な湿地は、やがて野鳥の宝庫となる。しかし、開発側は土地の有効利用をもとめて策動を重ねる。カビ臭事件をおこした谷中湖の教訓をよそに、第2貯水池計画が浮上している。遊水池の保護を訴える「渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会」の活動が力強く続いている。
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◎谷中村跡の大榎
1998年春のフィールドワークで、参加者は竹薮をかきわけて間明田粂次郎邸跡に辿り着き、大榎と対面した。間明田邸は「村民進退の策源地にして、また参謀本部」(荒畑寒村『谷中村滅亡史』)であり、買収対策事務所であった。強制破壊を前に、田中正造が激昂し、木下尚江が演説をした。そうした歴史の流れを、この大榎は見守っていたのである。
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活動団体紹介
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足尾・渡良瀬川流域では、次の団体が講演会、例会、フィールドワークなどの活動を行い、機関紙の購売や、現地の案内などの相談にものっている。以下、参考として掲載する。
渡良瀬川研究会(代表幹事・市川 了)
〒374−0019 群馬県館林市尾曵町14−55 TEL:0276(72)1892
田中正造大学(事務局長・坂原辰男)
〒327−0001栃木県佐野市小中町932 TEL:0283(23)2896
田中正造と足尾鉱毒事件に学ぶ会(代表・三宅志呂)
〒374−0025 群馬県館林市緑町1−10−15 TEL:0276(74)5034
渡良瀬遊水池を守る利根川流域住民協議会(連絡責任者・高松健比古)
〒321−4315 栃木県真岡市道祖士25 TEL:0285(82)3071
わたらせ川協会(事務局長・神山英昭)
〒321-1523 栃木県上都賀郡足尾町松原2−10 TEL:0288(93)2180
谷中村遺跡を守る会(代表・針谷不二男)
〒323−1104 栃木県下都賀郡藤岡町藤岡1509 TEL:0282(62)9374
田中正造に学ぶ会〔東京〕(代表・高山 尭)
〒174−0056 東京都板橋区志村2−24−12 TEL:03(3968)9845
田中正造翁に学ぶ会(事務局・柿沼幸治)
〒349−1212 埼玉県北埼玉郡北川辺町麦倉3616−2 TEL:0280(62)1461
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